現代人が生活する都市空間は、各々のプライバシーが複雑に交差した特殊空間となっている。
ひしめく建物と居住空間はそれらを物理的に遮る不透明なケースを作り出し、視覚を遮断することで、即物的なプライバシーを成立させているが、完全に塞ぐことの出来ない音という存在は、ケースから滲み出る水のようにジワジワと、互いの自己空間を侵食するのである。それらの音がもたらすのは、顔の見えない他者の存在認識から生まれる不気味さと、孤独感から他者を求める不器用な精神である。

私が行うフィールドレコーディングという行為は、自然空間と都市空間によって異なる手法と精神性を持つ。自然空間におけるフィールドレコーディングは孤独な沈黙の記録であるのに対し、都市空間におけるそれは、プライバシーを守っている人間の脆弱性をついた、間諜行為である。

その行為を通じて、町中で耳を傾けると、機械から作り出される音に支配されている事がよくわかる。それはサウンドスケープを提唱したシェーファーからしてみれば、のぞましくない音()であり、それらが建物で区切られ、充満している。現代都市のローファイな音の集合的テクスチャーは、音が連続的に人々を刺激する。現代の人々が居住するローファイ空間は、人間が原始的に暮らしていたハイファイな自然空間とはかけ離れているのである。

しかしこれは全くもって悲観的な事ではない。都市に生活する人々は遺伝子に約束されていないローファイな
都市環境に適合し、そこに居心地を覚え始めている。
機械によって作り出された音が、人々が発する言葉や音を埋れさせ、匿名性や音の意味をなくすモザイクをかける。これにより、他者との私的空間の干渉が起こらない、絶妙なプライバシー領域を作り出し、居心地の良い生活空間を作り出している。

私が都市のフィールドレコーディングを間諜行為としているのは、その埋れ隠された音を掘り起こしているからである。これは砂浜に埋れた貝を掘り起こすように、録音を通じて都市に埋れた音を掘り起こす手法を用いた作品である。 

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